『Blowin' in the wind』(答えは、さっきまで、そこに) その2

その1で紹介したサイトを訳していきます

ボブ・ディラン自身この曲はプロテストソングではないと言っているので、抗議がましく聞こえないように訳した、つもり、です。)

 

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?

 

この歌の始まりは、最も有名かつ最も不可解な歌詞で始まっている。今までにもいろいろな解釈があったけど、どれか1つが正しいというわけではないんだ 。単純に考えれば、ある人の人生経験について尋ねている、つまり、どれだけ生きれば成長したとみなされるのか?と疑問を投げかけている、と捉えられる。だけど(この曲が生まれた時代背景からして)60年代に盛んだった、公民権運動について歌ってるとも読める。どれだけ(市民権を得るために)(デモ)行進をすれば、持っていて当たり前の権利を得ることができるのか?とね

「どれだけ歩めば、彼らは人として生きれるようになるのだろう。」

 

How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?

 

白鳩は、少なくとも地球上では、だけど、平和、調和、統一の普遍的なシンボルだ。平和が訪れるまで、どれだけの間、飛び続けないといけないのかと尋ねてるわけだ。

「最後にようやく砂浜で休む日が来るまで、一体どれだけの海を白鳩は渡らないといけないのだろう。」

(注)白鳩をsheという代名詞で受けた理由は特にないようです。これに関係して、自然系のものは、mother nature(母なる自然)という表現がある通り、sheで受けるものが多いです。ただし、最近はフェミニズム運動もあってitで受けることも多いようです。

 

Yes, and how many times must the cannonballs fly
Before they’re forever banned?

 

ここでは、戦争についての直接的な言及が見られるね。(読めばわかるので以下略)

「一体何度、砲弾が飛べば、永久に禁止されるようになるのだろう。」

 

The answer, my friend, is blowing in the wind
The answer is blowing in the wind

 

その1で解説したさびの部分。

「友よ、答えはさっきまでそこにあったんだよ。さっきまで、そこにね。」

 

ここで、一番の歌詞がおしまいですので、一旦ここで区切りにします。

 

 

『Blowin' in the wind』(答えは、さっきまで、そこに) その1

ノーベル賞受賞をきっかけに聞いてみた、ボブ・ディラン

今回はあまりにも有名な代表作『Blowin' in the wind』を訳していきます。

が、あまりにもメタファーが意味不明すぎて、(文法的にはそんなに難しくないのですが...)解釈はこちらのサイト

justrandomthings.com

を参考に(と言うかこのサイトを訳しただけ)しました(泣)。

 

まず表題の" Blowin'"ですが、これは、発音が早すぎて、本来あるはずの" g"の音が聞こえないことを表す時、こういう表記をします。

ので、『Blowing in the wind』と言ってることは一緒です。

ここの訳が『風に吹かれて』となっていて、確かにそうなんですが、日本語で「風に吹かれて」なんて言われると、「ふわふわしててとらえどころのない」「どこか行ってしまいそうな(儚くなってしまいそうな)」という雰囲気になってしまいます。

ボブ・ディラン本人が後のインタビューで答えているとおり、

"There ain’t too much I can say about this song except that the answer is blowing in the wind. It ain’t in no book or movie or TV show or discussion group. (略) People are telling me where the answer is but oh I won’t believe that. I still say it’s in the wind and just like a restless piece of paper it’s got to come down (略) …But the only trouble is that no one picks up the answer when it comes down so not too many people get to see and know . . . and then it flies away. I still say that some of the biggest criminals are those that turn their heads away when they see wrong and know it’s wrong. I’m only 21 years old and I know that there’s been too many . . . You people over 21, you’re older and smarter. "

 

"The answer is blowing in the wind"っていうこと以外で、この曲に関して言えることはあんまりないよ。答えは、本を読んだり、映画やテレビ番組を観たり、討論して見つかるものじゃない。人は、僕に向かって答えがどこそこにあったなんていうけど、そんなのは信じないね。やっぱり、答えは風のなかにあって、紙切れみたいに地上に落ちてくるんだって言いたい。だけど、問題なのは、せっかく地上に落ちてても、誰も拾おうとしないから、あまりに多くの人がこの「答え」をわかるようにはならないのさ。で、いつの間にかその「答え」はどこかへ飛んでいってしまう...。1番の悪人っていうのは、僕が思うに、よくないことをみて、それが間違っているのを知りながら頭を背けるような奴らだよ。僕はまだ21才だけど、そういう人間があまりにも多いっていうことを知ってしまったんだ。君みたいな大人は21才を超えてるんだから僕よりも賢いはずだろ?」

 

つまり、「答え」は落ち葉みたいに「風に吹かれて」いると言ってるわけですね。

だから、裏を返せば「答えなんてそこら中に落ちてるじゃないか。拾い上げて見てみようとしないから分からないだけだよ」っていうのが彼の言いたかったこと。

 

すると、表題の訳語は『答えなんてそこら辺にある』になるのですが、

歌詞と似ても似つかないほど無骨なタイトルになってしまうので、

       (考えること丸一日)

『答えは、朝飯前』

 \(゚д゚)/ 「ダッサ」

『答えは、さっきまで、そこに』

 

気づいたら記事一個分になってしまったので、続きは次回!

(表題訳しただけというマジレスはしないこと)

 

『In my life』その3(最終回)

But of all these friends and lovers
There is no one compares with you
And these memories lose their meaning
When I think of love as something new
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life, I love you more

 

 

Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life, I love you more
In my life-- I love you more
 
In My Life (Remastered 2009) 歌詞 © Sony/ATV Music Publishing LLC

 

 

今日はここの部分です。

最初の文構造が少々難解ですが、元に戻すと、

But there is no one of all these friends and lovers compares with you.

となります。

no one of/no oneに限らず、(数量を表す名詞)of 〜の場合、〜の部分には特定できるものがきます。(例)some of my books、half of the people in this city 

compare with/通常compareはcompare A with Bの形で使うことが多いですが、compare with〜と使う場合、〜に匹敵するの意味になります

think of A as B/AをBとみなす。他にこの意味になるものとして 

・regard/look on(upon)/consider A as B

また、think A for Bは、AをBとみなす、ですが誤解しているというニュアンスが含まれます

affection for/affectionはforを採るんですね、知りませんでした。

(名詞とその名詞がどんな前置詞を取るのかは、決まっているものなので、勝手に組み合わせてもダメです。ただし、動詞を名詞化したものは、名詞になっても、動詞の時と同じ前置詞を使う傾向があります。(例)change A into Bは、change into B)

 

まとめて、

「だけど、今までの友人や恋人でさえ、君にかなう人はいない。

 さらに、君への愛を何か新しいものとして見ると、

 こういった記憶も意味のないもののように思えてくる。

 もちろん過ぎ去った人や物事への愛着を、これからも、失うことはないだろうし

 時には立ち止まって、彼らのことを考えるだろう。

 でも、君のことのほうが好きなんだ、ずっと。」

になります。

今までをまとめて

 「今までの人生の中で、変わってしまったところもあるけれど、

  これからもきっと思い出す場所がある

  永遠に変わらない場所もあれば、そうでない場所も

  残ってるところもあるけれど、一部はなくなってしまった

  そういうところでは、恋人や友達と過ごした時間があって

  今でも思い出すことができる

  彼らの中にはもういない人もいるけれど

  今でもみんなのことが好きなんだ

       だけど、今までの友人や恋人でさえ、君にかなう人はいない

  さらに、君への愛を何か新しいものとして見ると、

  こういった記憶も意味のないもののように思えてくる

  もちろん過ぎ去った人や物事への愛着を、これからも、失うことはないだろうし

  時には立ち止まって、彼らのことを考えるだろう

  でも、君のことのほうが好きなんだ、ずっと」

 

注)なんでも、ビートルズの元メンバーのことを歌ってるらしいです。

 

『In my life』その2

引き続き訳していきます。

 

ただ以下の部分ほとんど難しいところはない、と思われるので

All these places have their moments
With lovers and friends I still can recall
Some are dead and some are living
In my life, I've loved them all

いきなり訳

「どの場所にも、恋人や友達と過ごした時間があって

 今でも思い出すことができる

 彼らの中にはもういない人もいるけれど

 今でもみんなのことが好きなんだ」

 

"some are living"のところの訳がないのは、いちいち「もう死んでしまった人もいるし、まだ生きている人もいる」と訳すのがまどろっこしいし、無い方が曲の作風に合うからです(くどく訳した方がいい重厚な文章ももちろんありますが)

それと、出だしの無生物主語構文ですが、

無生物主語構文は英作文で書くのも、和訳するのも結構なテクニックが必要なのでここで解説すると、

・特定の名詞と動詞の組み合わせでしか使われない(←だから、英作文では自分のよく見知っているものを除いて、使うのは避けた方が無難)

・訳し方は、余白が少なすぎて「不能書(書くこと能わず)」ですが、無生物主語構文の雰囲気を残した方がいい場合と意訳した方がいい場合があります

(別に全部意訳してもいいのですが、例えば"What makes a man a man?"を「どうやって人になるのか」などと訳すのは今ひとつ面白みがないので、この場合は「何が人を人たらしめるのか」と訳すと趣があります←例で、とある文章から持って来ましたが、今の時代に、manを人と訳すのは時代遅れなのでやめて下さい)

・A(無生物)have/see Bの場合、「AにはBがあった」と訳すとうまくいく場合が多いです(例として、"The 19th century saw the rapid change caused by Industrial Revolution”であれば「19世紀には産業革命によって起きた急激な変化があった」となります。)今回はこの訳し方を使いました。

 

今日はここまでにします。

次回でこのシリーズは終了(多分)になります。

 

 

 

 

 

 

『In my life』その1

今回から数回かけて"The Beatles"の"In my life"という曲を和訳しようと思います。

 

(この場を借りてこのブログの方針を示したいのですが、

・まず、厳密な直訳をつくる

・そして、ある程度日本語として滑らかにする

・時代背景だったり、作者の主義主張と言ったものは最後に考慮する

の三点です。

わたしの英語の恩師が常々言ってたように、

雰囲気で意訳したのはただの誤訳でしかない、百の文を訳しても正確でなければ百誤訳しているにすぎない

と思うからです。直訳が鬱陶しいと思うかもですが、何卒宜しくお願いします)

 

さて、英語の歌詞は、韻を踏む為に普通使わない語法を使ったりと、往々にしてわかりにくいもので、かなりハードルが高いです。が、この曲、個人的にはかなり好きな曲なので是が非でも訳していきます。(歌詞はLyricsでみてください)

 

There are places I'll remember/ここはもちろん関係詞の省略。

 

(関係詞の省略はよく「目的格だから」と解説されることが多いが、厳密には「関係詞の後に直接SVが来るとき」。

"the girl I met yesterday"は使われるが、"the girl yesterday I met"という使い方はされない。(どちらも目的格)

また、"the man who I think is rich"の"who"は連鎖関係代名詞の主格だが"the man I think is rich"とも書ける。

従って「関係詞の後、直接SVなら省略可」と覚えといたほうが良い。)

 

remember/覚えている、思い出す。今回は思い出すのほうがいいかも

all my life/副詞的に使われることが多い。今回は、今までの人生で、の意味

though/だけど、しかし

 

some/決して「いくつかの」の意味ではない。そもそもsomeの原義は部分(集合)なの

で、例え「一億」であったとしても「七十億のなかの一億」という文脈ならば、someが使われる。ので、「〜するものもある」とか「一部は〜」と訳すのがよい。

 

have changed/動作動詞の現在完了形。

 

some forever, not for better/ここが難関。まず省略されている動詞を考えないといけないが、今回はbe動詞だろう。次に「そもそも前置詞の後は名詞のはずなのに、なぜ形容詞を持って来るのか」と考える。するとこれとよく似た慣用表現が頭に浮かぶ。そう、「for good(永遠に)を、韻を踏む為に、for betterにしたのではないか」と仮説が立つ。ネイティブの間でも、ここはしばしば議論を呼ぶが、「単純に良い方には変わらないという意味だ説」よりも「韻を踏むためにあえて変形させた説」の方が文脈に合うように思える。

 

have gone/行ってしまった(行ってしまってここにはいないの意)

 

ここまでをまとめると、

There are places I'll remember                 
All my life, though some have changed
Some forever, not for better
Some have gone and some remain

この部分は、

「今までの人生の中で、変わってしまったところもあるけれど、

 これからもきっと思い出す場所がある。永遠に変わらない場

 所もあれば、そうでない場所もある。一部は無くなってしま

 ったし、残っている所もある。」

ぐらいになるのかなと。

 

今回はここまでで、次回はもう少しサクサクと訳していきます。

 

 

はじめに

はじめまして、ぱりじゃんです。

ブログというのは初めてで、

始めようと思ったきっかけ自体、突拍子もないことですし、

どれだけ続けられるかわかりませんが頑張っていきます。

 

さて、わたしは今医学部に在籍しているのですが

医学部受験で得た英語の知識で(もちろん素人同然なのですが)、

自分なりに、洋楽や英語の文章の解釈をして行こうかなと思ってます。

 

なので、完璧な和訳ができてるわけでもないですし、こんな風に考えるのかとか、

おいおいそこは違うだろって突っ込みを入れたりしながら読んでもらえれば幸いです。

 

(ところで、ぱりじゃんというのはわたしのあだ名で、決して本当にパリから来てるわけではないです、一応念のため)